度々この詩に立ち返る
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」と茨木のり子さんが詩に綴ったこの一節。
ぼくは度々、この言葉に立ち戻ることがあります。
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
この詩は心の奥底に響き渡る強烈な呼びかけがあって、たびたび思い出すんです。
人の感受性は、意外と繊細で壊れやすいもので、ふと気がつくと、大切にしていたはずの感情を忘れてしまって、生活の中で他人の言葉や行動に影響されて、傷ついたり揺らいだりしますよね。情報量が多い今の世の中では、大切なものを忘れてしまいがちです。
しかし、茨木のりこさんの言葉は、そんな時こそ自分自身の内なる声に耳を傾け、自らの感受性を大切に守り続けることの重要性を教えてくれます。他人の評価や社会の圧力に屈することなく、自分の感受性をしっかりと持ち続けることが、真の強さであると説いています。
「ばかものよ」という強い言葉の裏には、自分自身への厳しさと愛情が織り交ぜられていると感じます。この言葉は、他人に委ねることなく、自らの感受性を育み、守り抜くことの重要性を私たちに深く刻み込む強さがあります。
自分の機嫌くらい自分で取れよと、どこか、心地よい説教をされているような感覚になりますよね。笑
自分の感受性を守りつづけるのは意外と難しい
海外の人に多い考え方に「自分が幸せになることで、ほかの人も幸せにできる」といった言い回しをよく聞きます。
自分が幸せになるということはつまり、「自分の感受性を守る」ということでもあり、日本人よりも海外の人はこの考え方が当たり前なのかもしれません。
ただ、日本人は真面目で犠牲的な生き方をしている人も多いのではないでしょうか。
ほかの人のために生きるあまり、または他人に流されるあまり、自分自身をおざなりにしたり、自分自身を見失ったり。とくに自殺者の多い国日本ではこのような人は多いでしょう。
「自分の感受性くらい自分で守れ」とは、ときには自分自身を気にかけて心に水をあげなさい、という愛のある言葉に聞こえてきます。
もっと、自分の気持ちに目を向けて、自分は何が嬉しいのか、何に興奮するのか、考える時間をつくるべきなんだと思います。
自分のことを知るのは意外と難しいことだけど、それをやるための努力を怠るなということですね。
自分が幸せになるために、自分自身を知って、自分が満たされることをやり、感受性を守る、これは生活において必要なことなんだと思います。
自分を見つめ直す時間を。
「自分の感受性くらい」
この俳句を読んで、皆さんはどのような気持ちになるでしょうか?
最近、自分と向かう時間は取れていますか?
茨木のり子さんのこの詩は、私たちに人間の感性を改めて考えさせてくれます。
この詩を通じて、自分時間をつくってみてください。
部屋に癒しを。部屋にお花を飾りませんか?
現代の忙しい生活の中で、自然を増やすためには花を飾ることもおすすめです。
家に飾るお花の購入は「FLOWERのロスレスブーケ」がおすすめです。
フラワーロス削減の仕組みで、お得な料金でWEB販売されているお花屋さんになります。
産地直送でシンビジウムなどのお花も販売されたりもするので、チェックしてみて下さい。
公式アプリ「FLOWER」をダウンロードする(iPhone)
公式アプリ「FLOWER」をダウンロードする(Android)
WEBで見てみる
\ 毎日のようにお花が更新されています! /
他のFLOWERのロスレスブーケを購入した記事はこちら↓
コメント